2014年2月22日

『武器としての社会類型論』

『武器としての社会類型論 世界を五つのタイプで見る』
加藤隆
講談社現代新書
2012年7月

第1章 五つの社会類型からなる社会類型論
第2章 古代ユダヤ教とキリスト教
第3章 「西洋世界」の危機と「キリスト教」の採用
第4章 「西洋」と「非西洋」

1章で社会のあり方を5つの社会類型:上個人下共同体型,上共同体下個人型,全体共同体型,資格共同体型,掟共同体型,に分類している.

最後の掟共同体型がなんのために必要なのか分からない.全体共同体型とあえて区別する必要はあるか?

5つの類型で全ての社会のありよう説明しきれていない.

『「上個人下共同体」タイプの構造が,「西洋的キリスト教による安定<二重構造>」に変化した姿は,「上共同体下個人」タイプの構造に似たものになっていると言うことができるかもしれない.』p.224

1章でわざわざ類型に分類しているのに,3章で類型で説明しきれないからと別の類型を持ち出すなら,いったい何のための類型なのだ.上個人下共同体型が不安定の意味もよくわからないし,二重構造としたら安定になる意味もさっぱり分からない.

中国の伝統的社会がモデルの上共同体下個人型については,そういう要素を含まない社会なんて存在しないだろう.これは,マックス・ウェーバーの『権力と支配』(まだ全部読んでいない)で議論されている官僚支配のことだと思うのだ.

社会的地位が上がれば,不自由になるのは普通のことだ.私も,昔は素朴に努力すれば自由になれると思っていたけど,偉くなると不自由になっていくのは,古今東西どこでも同じことじゃないのか?

本書の主張は,すでに社会学で考察されていることを不完全な形で繰り返しているだけに見えた.

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