2013年1月1日

映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ』

『劇場版魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語』
『劇場版魔法少女まどか☆マギカ [後編] 永遠の物語』
総監督 新房昭之
監督 宮本幸裕
脚本 虚淵玄
出演 悠木碧,斎藤千和,水橋かおり,野村藍,加藤英美里
アニプレックス

 TOHOシネマで年忘れ一挙上映と称して,前後編を同時上映していたので見てきた.社会現象?を引き起こしていたらしいのに,見ていなかったのだ.
 TVで12話のものを前後編の映画にまとめている.ストーリーもよく把握できたし,TV版から構成上重要な箇所をカットされたりもされていないように思う.
 確かにawesomeでした.

 アニメや映画やマンガを見るとき,なにが面白いか.古いものをみたときは,好きな作品の原典を発見した時.新しいものを見たときは,好きな作品に影響を受けている部分を見たとき.歴史の文脈の中で,作品の位置を見出し,歴史が更新されていくのを目撃するのが楽しい.
 本作は,近年のアニメーションの要素を全部含んだ,全部盛り.その上で新たな要素を追加し,アニメーション史に新しい局面を迎えさせたと思う.
 私はあまり詳しくないが,魔女っ子はアニメのジャンルとしては昔からあるものだ.『魔法使いサリー』,『魔女っ子メグちゃん』,『美少女戦士セーラームーン』,『ふたりはプリキュア』,『魔法少女リリカルなのは』等々.今や萌えアニメと呼ばれ,成人男性が好きというには,恥ずかしいものである.
 『まどマギ』は,タイトルと可愛らしいキャラクターデザインでそういった萌えアニメの皮を被っているが,内実はダークで憂鬱なハード作品だ.この意外性が話題を呼んだ.アニメ史の文脈の中でしか理解できないアニメということが通好みで面白い.

 斬新な表現は多いが,特に印象的なのは「キュゥべえ」こと「インキュベーター」だ.魔女っ子の横に必ずいる使い魔を黒幕に据えるというアイデアは面白い.『ボクと契約して魔法少女になってよ!』のセリフの裏にある悪意は物語が進行するにつれて明らかになっていく.当初は可愛らしいマスコットに思われたものが,後半では恐ろしく不気味に見えてくる.演出の妙だ.キャラクターは演出の仕方でどのようにも見えてしまうのだ.
 キュゥべえは人間の感情には共感できないといいながらも,人間の感情についてはよく理解している.希望が絶望に変わるということを分かっているのだ.あいつむかつくわ.
 キュゥべえは魔法の能力をあたえることはできるが,魔法は使えないようだ.魔法は感情の力だ.キュゥべえの手のひらの上で踊らされているが,魔法少女はキュゥべえの及ばない力を持つ.時間や因果を変える力さえある.制御しきれないものを操ってエネルギーを得ようという宇宙人はかなり無謀なことをしているのではないだろうか.

 また,魔女の描写も秀逸だ.平面的でグロテスクを抽象的に表現している.『エヴァンゲリオン』における使徒の表現をさらに突き進めた.敵が曖昧でわからないものであれば,それを映像で表現する場合は,抽象的な表現が効果的だ.

 物語構造として多重の物語が絡み合った重層的な構造になっている.物語の主筋である主人公の鹿目まどかのストーリーが弱いように感じた.まどかが犠牲となって,すべての時空の魔法少女を救済する.まどかは魔法少女たちにとってのキリストである.
 しかし,まどかは願いを決め切れず,最後まで魔法少女にはならない.魔法少女の悲惨な姿もあくまで傍観しているに過ぎず当事者ではない.見ている我々はまどかのいない所で起こっていることも知っているから,魔法少女がいかに悲惨かということも理解している.しかしながら,まどかは友人が数人死ぬのを目撃しただけで,彼らの絶望を体験したわけではない.絶望に共感していたら,契約していきなり魔女になってしまうわけで…….作中で起こることは,まどかが主体となっていることではない.それをまどかが願いの力で決着をつけるというのは,動機として弱いのではないかと思った.
 要するに,まどかにまつわるストーリーが主軸となるには希薄だから,最後の結末が収まりが悪いし,共感を呼ばないように思えたのだ.

 とはいうものの,前編の魔法少女の悲惨な運命は衝撃だった.『鋼の錬金術師』の等価交換の法則に通じる,力を得ることの対価とはなにかを考えさせる非常に良い作品だった.

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